こんにちは。ゼーパです。
「ドラゴンボールってフリーザ編で終わっておくべきだったよね」なんて話を聞いたことがありませんか?
僕はそうは思わないんですよね。今回は少しそれについて書きたいと思います。
Contents
それを言うならフリーザ編ではなくマジュニア編で終わるべき
もしフリーザ編で終わってしまっていたら、それはそれは綺麗な終わり方だったと思います。
でももし「綺麗な終わり方」という観点で言うならば、ドラゴンボールは「マジュニア編」で完結した方が良かったと思うんですよね。
「サイヤ人」なんていうのは完全な後付設定なわけです。ストレートに綺麗に終わった感を得たいならマジュニア編で終わり。これが一番良いと思います。
もっと言うならドラゴンボール7個集めて願いを叶えた時に終わるべきとも言えます。
本当にフリーザ編より後が読めなくなったら悲しい
そもそも多くの「終わるべきだったマン」はその後のストーリーを読んでいないのか?というと多分読んでいると思うんですよね。読んだ上で、「フリーザ編で終わっていたら綺麗だった。」なんて無責任なことを言っていると思うんです。
読んでいる時はセル編以降でも多少ワクワクしていた思うんですよね。
なので今日から「セル編以降は一切読めなくなりますし、アニメも見られなくなります。」なんてことになってしまったら少し悲しい気持ちになるんじゃないかな~と思うんですよ。
フリーザ編以降、鳥山先生の画力は衰えることなくどんどん格好良くなっていきました。日本一の漫画家のそれを見られただけでも大きな価値があると思うのです。
鳥山先生の絵が好きで、ドラゴンボールのキャラが好きだからずっと読みたい
僕はなぜマジュニア編の後やフリーザ編の後もドラゴンボールを読み続けたいと思ったのか考えてみました。
鳥山先生の圧倒的画力、それからキャラの魅力が理由なんじゃないかと思います。
極論、ストーリーなんてどうでも良いので「鳥山先生が書くドラゴンボールキャラの漫画」を読めればそれで良いと思うのです。
セル編もブウ編も僕はストーリーも好きですが、ずっと「青年悟飯のハイスクール編」でも読んでいたと思いますし、ブウ編で終わらずにで日常回が続いても読んでいたと思います。それくらい絵とキャラに魅力があるんですよね。
もしフリーザ編で終わっていたら
もしフリーザ編で終わっていたらミスターサタンも、ビーデルも、界王神も、未来トランクスも、18号も、超サイヤ人2少年悟飯も存在しなかった。
それだけでもフリーザ編で終わらなくてよかったと言えるのではないでしょうか。
特に「超サイヤ人2少年悟飯」の絵はドラゴンボールという漫画の中で最も格好良い絵として評価が高いですよね。
ビーデルという魅力的なキャラも、ミスターサタンというスーパーヒーローも、未来トランクスというイケメン枠も、18号というツンデレ枠も、界王神というお笑い枠も絶対に必要だと思うんです。
フリーザ編で終わっていたらベジータの成長が見られない
ベジータはもともとサイヤ人の王子として生まれましたが、フリーザ軍の支配下に置かれてしまい、ついにはサイヤ人の星である惑星ベジータを破壊されてしまいました。
サイヤ人はほぼ全滅し、ラディッツ、ナッパ、悟空、悟飯と自分の5人だけになりました。
悟空に仲間になって貰おうと地球へ向かいましたが、ラディッツは地球人に殺され、ナッパは自分で殺し、ついには3人だけに。
いろいろあって恨みのあるフリーザは悟空が倒してくれました。
その後は悟空の住んでいる地球に移住し、慣れ、それが心地よくなってしまった。
しかしもともとサイヤ人は悪人の民族なのでベジータのサイヤ人としての葛藤は消えなかった。
ふと自分が許せなくなり、バビディに自分から洗脳されにいきましたよね。
でもやっぱりその判断は間違っていたと反省し、家族の為に1人でブウに挑んで自爆しました。
最後には悟空の強さを初めて認め、「お前がナンバーワンだ」と言い放ちましたよね。
悪人が極悪人に支配され、一族を根絶やしにされ、異星で暮らし、最後には異星で築いた家族の為に戦う。もう本当の主人公はベジータだと言って良いくらいです。涙が止まらないですよ。
フリーザ編で終わっていたらこのベジータ物語も読むことはなかったわけです。
まとめ
フリーザ編で終わっていたら良かった・・・なんて言いますけど、その後のストーリーも、絵も、絶対に無くなってはいけないと切に思うのです。
おそらくそこまで深く考えずに「フリーザ編で終わってたら良かったよね~☆(通はそう思うでしょ☆)」っていう感じのフランクな会話で言ってるんだと信じたいです。
これからは「フリーザ編で終わらなくてよかったよね!」という風潮になると良いなあと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。それでは!