こんにちは。最近映画を見まくっている者です。
今回見たのは「ベンジャミン・バトン数奇な人生」。
ネタバレあります。
監督はデビッド・フィンチャー。エリック・ロスが脚本。主人公を演じたのはブラッド・ピット。
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設定が秀逸
この映画はもう設定が最高というか、秀でています。人間は誰しも時間の流れとともに年老いていくものですがこの主人公はその常識が当てはまりませんでした。
時間が経つにつれ若くなる。だから生まれた時が一番老けています。
生まれた時が80才相当の外見で死ぬ時が0歳の外見。まさに数奇な人生。
現実ではありえない設定のお陰で、見ている人に「自分の人生は平凡だけど、それでも幸せなんだな」と思わせる。
普段気付けなかったことに気付ける。
うまいと思いました。
子供がの未来があることは素晴らしいことだ
ベンジャミンの外見が1歳くらいのときに、なんかこう、子供って本当に尊いんだなとか、子供を大切にしようと考えてました。
あの時のベンジャミンは外見は1歳だけど未来は無い1歳で。うちの子供は未来のある子どもで。
未来があるって、すごく素晴らしいことなんじゃないかって気付かされました。
ベンジャミンじゃなくても、病気で未来が無いと診断された子供は沢山存在するわけですから、健康な子供もつ親はどんなに幸せか…と思っちゃいました。
これ、この映画を見ないと思わなかったことなので見て良かった。
40代でやっと同い年
幼馴染のデイジーとははじめてあった時から惹かれ合っていましたが、見た目が違いすぎて上手く行きませんでした。
しかし、ベンジャミンは実年齢が40歳で40歳の見た目。人生に一度の外見と実年齢が合致するとき。
そのとき、デイジーも40歳前後なのでとても気が合い二人は上手くいきました。
しかし、ベンジャミンが1年で1歳若返る。デイジーは1つ年老いる。1年で2歳も外見に差が現れるんですよね。
だから二人がいい感じにカップルでいられた期間はほんの僅かだったわけです。残酷です。せっかく見た目が同じくらいになったと喜んでもすぐにまた差が開いてしまう。
ベンジャミンにとって他人と一緒に年をとることは夢のようなことだった。
いずれ子供になる自分を世話させたくないと出ていってしまった。
最後に私のことを思い出してこの世を去った
デイジーはベンジャミンの最期をこう語っています。
「最期に私のことを思い出して死んでいった」
少年の外見になったベンジャミンはデイジーの記憶がありませんでしたが、死ぬ間際に思い出したと語っています。
0歳の生まれたばかりの赤ちゃんが思い出したとなぜ言えたのか。ここはちょっと謎でした。
デイジーの記憶を無くして十数年。それに年々脳も縮小していく。思い出せるはずがないんです。
でもデイジーにはそう感じた。そう思いたかったのかな。思い出して欲しかったから思い出したことにした。のかな。
少年の外見になったベンジャミンを死ぬまでずっと世話していたデイジーの姿がこの映画で一番印象的でした。
あとは小さくなって死んでいくだけのベンジャミンの世話は辛かったでしょう。
まとめ
俳優がめちゃくちゃイケメンだから、なんか若返ってカッコイイ!って思えたけど、一般的な容姿だったら若返ってもそこまでのオーラは無かったでしょうなあ。
ブラピずるい!
それでは!