気胸になって両肺手術した備忘録

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最近、新型コロナウイルス蔓延で、気胸持ちであることに急に不安になってきました・・・。
自分の体験を書くことで、不安が和らぐものでもないですが、「あれ、気胸の手術をしたあの頃のこと、結構忘れてるなあ」と思ったので今、備忘録として書こうと思います。

忘れている部分が多々ありめちゃくちゃな文になっていますが、ご容赦下さい。

17年以上前、高校1年の16歳の時に気胸と診断された。

友達のA君と二人で街を歩いていたら、急にドカンと肺が落ちるような感覚になり胸に重い痛みが走った。

動けなくなり、A君が近くに停まっていたのタクシーに私を乗せて救急病院に連れて行ってくれた。A君ありがとう。

レントゲンを撮り、両肺の気胸が判明。

詳細を忘れたけど、どちらかが8割萎んでいる状態だった気がする。

確かそこでは帰されたのかな、それとも後日だったか、ポータブル型のカテーテル?を挿入した。

あれ、どうだったっけ。それ挿したのそれより前かも。

もともと胸痛で病院に行ったことがあって、そこで気胸が発覚したんだったかな。

そこで医者にしばらく自宅で安静にして様子を見ましょうと言われて、後日再診したら治ってないのでポータブルカテーテルをやつ入れたんだっけな。

うーん記憶が曖昧だ。

カテーテルはこういうやつ。

外来ドレナージキットとか、気胸ドレナージキットと言うらしい。この商品自体はソラシックベントと言うようだ。

局所麻酔をして「ドン!」という衝撃を受けながら入れられたのを覚えている。

入れられてすぐに帰された。

麻酔が切れてくるとむちゃくちゃ痛かった。胸に異物が刺さっているのだから当然である。

その後帰宅し、一日目はなんとか痛み止めの薬で耐えたが、2日目の昼、安静にしながらテレビを見ていると突然この世のものとは思えない激痛が左脇下に走った。

文字通りのたうち回った。

人間、良く「激痛」という言葉を使うが、理性を無くして叫び、のたうち回ったことがあるだろうか。「激痛」を超えた「超激痛」。

母親は顔色を変えて病院に電話。

「様子を見てくれ」と言われたのか、泣きながら「痛がってるんです!」と訴えていた。「わかりました。来て下さい」ということになり、痛みが少し落ち着いた隙に車に乗って病院に向かった。

車中でももう一度この超激痛があった。

それ以降はおさまり、超激痛は出なくなった。

病院についてからはあまり覚えていないが、「神経に触ったのかな?」みたいなことを言われて、痛み止めの注射かなんかしたのかな。完全に忘れた。入院は必要ないと判断された。

その激痛に怯える日々が続き、肺がもとに戻ったのか、カテーテルを抜いた。

その後、2・3回気胸の再発を繰り返したので医者から手術を勧められた。

というか、中学3年くらいから、よく肺がポコポコ鳴っていた。考えたらあれは気胸だったのだな。親にも確か教えていたが、自然気胸のことはよく知らなかったようで病院にいくことは無かった。

ということは再発繰り返しまくりなので手術を決意した。死にたくないので。

気胸は最悪死ぬ病気ということもネットで勉強した。

なぜこんな肺になったのだろう。

中学は3年生の夏位まで毎日サッカー部で走ってて何も症状は無かったのになあ。

医者は、片方を手術している最中にもう片方が再発すると危険、両肺同時の方が安全かも知れないとかなんとか言っていたような気がする。だけど片方ずつでも両肺一気にでもどっちでも良いからね~とも言っていた気が。

なんか怖いので両方一気にやることにした。

あの超激痛の神経痛?に比べたら手術の痛みなんて楽勝だろうというメンタルもあったが、手術によってその超激痛がまた出たら嫌だなという思いはあった。

※当時調べた情報だとカテーテルで私と同じようにとんでもない痛みがあった人は発見出来なかった。特殊な例なのかも。

手術当日、ベッド上で管から全身麻酔を入れられて数十秒、術後に跳んだ。全身麻酔というのはタイムマシンか?ウトウトとか夢とかなく、パン!と術後に場面が切り替わった。

たんが大量に喉奥に絡んでいて咳き込んでそれを出した。手術直後はそれしか覚えてない。

左右肺に1本ずつ太いの、背中に痛み止め用、股間におしっこ用の計4本の管が繋がれた状態だった。管だらけ。

切った穴としては左右3箇所ずつの計6箇所。今でも傷がある。

肺からの管はドレーンという装置に繋がれている。

医者曰く、一方の肺はブラ(穴)が見つかり塞いだが、もう一方の肺は穴が見つからなかった(確かそう言っていたと記憶、記憶間違いかも)ため、レーザーで焼いたらしい。

いやレーザーで焼いたんかい!!

術後の痛みはかなり厳しく、堪えたが、あの神経痛に比べたら全然マシだった。でも痛いのは痛いので何度もナースコールをして痛み止めの注射を打ってもらった。モルヒネと言っていた。こうなってくると痛み止めの注射なんてほとんど痛くないに等しい存在になっている。

夜9時でテレビが消えるのが辛かった。痛みで碌に眠れないから夜が長い長い。スマホもない時代。夜中はガラケーをポチポチするかCDウォークマンしか娯楽がなかった。

早い人は術後1週間で退院出来るらしいが、3週間経っても私はまだ病院にいた。

中々肺が膨らまないのである。

医者がデカイ注射を持ってきて「薬いれますね~」と肺の管へサラダ油みたいな色のものを注入した。痛みは無かった。

効果が無かったらしく、後日もう一度注入した(「今回は強い薬です」みたいなことを言っていた気がする)。

「全体に行き渡るように体動かしたほうが良いですか?」と聞くと、「そうですね」と言われたのでせっせと体を動かした。肺が猛烈に熱くなり痛くなった。これは結構痛かった。

なんかその時だけ別室に移された気がする。怖い。

今調べてみたら、癒着療法というやつらしい。

Q)癒着療法とは、何ですか?

A)癒着療法は、肺とあばらの壁の間に、何らかの手法を用いて炎症反応を誘発し、組織修復機能を活性化させることで、肺の穴が塞がりやすい状況を作るとともに、胸腔の隙間をつぶして、肺が虚脱するのを防ごうとする治療を指します。

肺とあばらの壁の間に炎症が起きると、組織を修復するための重要な素材である線維や、組織修復役の細胞を含んだ浸出液が、肺とあばらの間に大量に出てきます。修復材料が十分ある環境となり、肺の穴が塞がることを助けます。また浸出液が、肺やあばらの表面から吸収される過程で、線維素材によって肺とあばらの間に癒着が起きます。癒着は線維組織による肺とあばらの接着を言います。癒着により、肺は線維組織を介してあばらの壁に引っ付き、離れなくなります。線維の中には細い血管ができることもあります。ブラは肺の表面にできて、肺とあばらとの隙間で大きくなり破綻しますので、ブラが成長する空間を線維で埋めることで、ブラの発生や成長を防ぐとともに、たとえ癒着とは違う場所で、ブラが発生し破綻したとしても、肺の完全な虚脱を防ぐことができます。

炎症を引き起こす手法は、さまざまです。化学物質を注入する方法が一般的で、欧米ではタルクという粉をまくことも多いようです。欧米では、手術のときも、気胸の再発防止を目的に、癒着療法をブラ切除と同時に行うことが通例と言われています。その際の癒着の方法は、胸膜を意図的に切ったり、強く擦って炎症を起こしたり、タルクなど薬をまいたり、といろいろです。国内では気胸の治療として使える癒着剤が、保険で認められていないこともあり、積極的には行われていません。タルクについては下の回答も参考にしてください。今、国内では、生体内で分解吸収されてなくなる手術用の縫合糸を、網状に編んだネットを肺の表面に固定する方法が手術中に行う癒着療法の代わりとして行われ、大変良い効果を上げています。

独立行政法人 国立病院機構 埼玉病院はより質の高い医療と安心を地域の人々に信頼される病院づくりを進めています。

うーん、最後の手段的な感じだったのかな。
私の時代にはネット固定療法は無かったのだろうか・・・

この療法はよくないとの情報も。

Q)癒着療法はよくないと聞きましたが?

A)おそらく、癒着がうまくいかなかったときの次の治療(多くは手術)が、より困難になることを嫌うことによるものですが、急性の呼吸不全で死亡するような合併症が知られており、ほかにもいくつか欠点を指摘されています。

癒着療法は、諸外国では気胸治療として一般的ですが、国内では他の治療が有効でないときなどに限って行われることが多いです。国内では気胸治療用として、保険で認められた薬物はありません。

短期的にみると、癒着療法は発熱を伴うことが欠点です。注入する化学物質によっては、強い痛みがあることもあります。発熱と痛みは、程度の差はあれ、ほとんど必発といえる副作用です。物質を注入する方法は、注入する物質が移動して、癒着を必要としない場所にも溜まり、肺の柔軟性が落ちて、将来的に呼吸に障害を与えることも指摘されています。特に外科医が嫌う理由は、癒着によって次に胸の手術が必要になったとき、手術が難しくなるからです。外科医の立場からすれば、再発防止に癒着療法するよりも、気胸が再発したらまた手術をすればよいという主張です。

独立行政法人 国立病院機構 埼玉病院はより質の高い医療と安心を地域の人々に信頼される病院づくりを進めています。

うーん、将来的に呼吸に障害、次回の手術のときは難しいか・・・

手術が必要な肺の病気になったら終わりってこと?

ということで、その治療により肺は回復、1ヶ月程で退院しました。もともと62kg位あった体重が52キロまで減った。

入院中は痛みにより食欲が出なかった。あの病院食のにおいが気持ち悪くなるのだ。

友達がお見舞いに来てくれたときに丁度、病院食が運ばれてきて、全部食べてもらったこともあったw

あと1度ジャンクなものが食べたくなり母親に「ピザを買ってきて」と注文したことも。

母はピザハットの四角いこういうやつを買ってきた。

こんなにおいしそうな食べ物でも胃が小さくなっているのか2~3切れくらいしか食べられなかった・・母よ、申し訳ない。

あと痛みでナーバスになっていて毎日来てくれる母に理不尽に当たってしまったこともあった。母よ、申し訳ない。

退院してから確か2週間くらい家にいたかな。

そのあと高校に復帰。もともと高校の勉強は出来ない方だったが、更に1ヶ月半休んだので勉強は諦めました。真面目にやれアホと思うが生きてるだけで十分だという考えになっていた。

幸運なことに現在まで一応再発(と診断されたこと)や再手術はない、肺が痛くなったりこれ気胸じゃね?ということはあり何度も病院に行っている。

レントゲンを撮ると、「異常ないですよ」と言われる。

肺活量はかなり減ったように思う。

以上書きなぐりだけど、終わりにする。

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